久しぶりです更新再開

いちいち読んでいる人も恐らくいないでしょうが、忙しさを盾に更新をmixiのみでしか行っていませんでした。だがこのままではいけない。無料レンタルサーバーの審査合格通知が届き、大きく動かしていくチャンスを得た。逃すわけには。


しかし、mixiに書いている日常的でプライヴェイトな話題以外に、公共性が大切なブログで公開できる話題が殆ど無いのも事実。バイトの話を振りまくにしても、そのバイトが割と毎日あるので変化をつけにくい(mixi日記の程度が精一杯)。う〜んまいっちんぐ


でも更新を再開する以上何か書いていきたい。仕方がないのでメモやら所感やら、思いついたことなどを適当にばらまいていくことにします。そしてたまにはまともな文章、書評などを載せていきたいです。絵は載せられる見込みが薄いです。やはりペンタブのペンを忘れてきたのは非常に痛い。


では今日のメモとか。


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・お金を使って得るものとして、物質的に「残るもの」、「残らないもの」がある。よくある分け方で言うと物品とサービスだ。どちらに重点を置くか、人間によって区分されると思う。恐らく「残るもの」にお金を使いがちな人間は物を捨てるのが苦手な人種である。自分がそうだ。そしてこれにはオタクの人が多い気がする。自分がそう……ではないと信じたい。しかし何にせよ収集癖は立派な性癖である。そして、「残らないもの」。レストラン勤務の自分としてはまず「飲食店」を一例に挙げたい。人によってはやはりこちらの方に重点を置いたりもするだろう。
さて、「残るもの」に価値を見出し、偏重する人間の主張というものがあるだろう。自分の場合「だって、後になっても物として残っているじゃん」というものだ。つまりお金と対価にその物の所有権を得、かつ自分の保存という責任の下でその物の永遠性を手に入れることになる、その点が「残らないもの」に対して優れているということだ。いつでも手にすることが出来る安心感に価値を見出す。
自分はずっとこのように考えていたが、今日フッと『「残らないもの」じゃなくて、「残るもの」こそ、真の意味では「残らない」んじゃないのかなぁ』と思い浮かんだ。
どういう思考の文脈からこんなことを考えたのか分からないが(いや、実際このとき何も考えてなかったはずだ)、思いついた以上何か考えるべきなのかもしれない。きっとどこかではたくさん言われていることなんだろうけど。
きっと――まぁざっと考えてみて――外的知識と内的知識、体験・情動から来る記憶、過去の経験へのアクセス手段の違い……などが自分にとってはポイントなんだろうと思う。練りこんでいくと面白い話になるかもしれないので、こうやってメモっておく。とりあえず寝かそう。そして誰かコメントくれないかなぁ。


・今日ウチのレストランにいらっしゃった子供連れ(2人)の家族、出していく料理をそれぞれ写真に撮っていた。面白かったのが、シャッターを切るのが子供だったということ。
出先でも気軽に写真を撮ろうとしたり、またそれを子供に促す家族は良い家族なんじゃないかな、と思った。食後は父親が子と母を一緒に撮っていた。積極的に思い出を残していく。とても仲が良いんだろうな。


・家族で外食したとき、どのようにメニューを注文するかで家族の性格が分かるのかもしれない。例えばウチみたいなコースで提供している場合だと、注文のうち一つだけ高いコースを選んだとき、それが父親のものなら彼が家庭で権利を持っている(わがまま)。選んだのが子供なら多分誰もわがままじゃない……みたいな。どこかで研究とかしていないのかなぁ。心理学か。


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こんな感じでした。書く側としてはその日思ったことを実直に記すだけでいいから楽だわ〜。
しんどいときは、こうしよう。