たべっこから漫才へ

■急に「たべっこどうぶつ」が食べたくなり、速攻で買いに出てしまいました。今はチョコ味もあるんですね。知らなかった。そして、さすが世界食品コンテストで金賞を取った商品。チョコ味も美味しかったです。
どうでも良いですが、このモンドセレクションの選考方法がよくわかりません。フルーツケーキだったか、明らかにランクが違う味でも同じ賞を受けていたり、自分の中ではいまいち評価が安定しない……。ミシュランガイドもちょっと問題になっていたようですが、五感に関わることはどうしても統一しがたいものがありますね。芸術然り、難しい……。
結局は、自分自身の感性経験以外の意見その他もろもろは、ついに参考資料でしかないということでしょうか。例えば芸術に関する随筆を読んで、自分の感覚まで変えられてしまったのなら、それは「感動」が起こったのであり、随筆自体がもはや芸術だと思うのです。
感動に達するか達しないか。それが自分以外の「感想」に触れたときに「芸術」なのか「参考意見」なのかに分かれる基準なのかもしれません。


■それに続いてのこと。
今は年末のためにテレビ番組がお笑い芸人で盛り上がっていますね。とにかく漫才漫才。見聞きしたことの無いコンビ名がぞろぞろと流れています。久々にじっくりと番組を見ましたが、本当に入れ替わりが速い。消費されているなぁ、と。
今日の深夜に「foot cut」とかいう名前の、スタジオ見学者の評価ポイントによって生き残りが決まるエグイ(フットカット、つまり足切り)コーナーがありましたが、どうもお笑い芸人たちに対する評価がおかしい。いや、結局は、個人的に納得できない。
一応関西圏に生きる人間なので、他の地域の人間以上にはお笑いに厳しいつもりなんですが、それで何とも思わない人たちがやたらと点数を稼いでいるのです。(この時点で自分が間違っているのだろうか)
ふと頭によぎったのが「最近のお笑いの変化があまりにも急速で、ダウンタウンのお笑いも若者に通用しなくなっている」という、どこかで聴いた言葉。これも正直信じられないのですが、小島よしおが流行ったりと、今の風潮にはちょっとついていけません。幼稚な、体を張った、宴会でするような芸が受けるのだろうか?
しかし今回出ていた芸人で、同じように体を張ったネタを披露するものでも、点数が高いものと低いものが分かれていました。どちらも大したこと無いように見えたのですが……。
そこで違いを考えてみたのですが、芸が終わってから採点に移るまでに少しありました。


[1] 司会者が「面白かったよ」などと言う
[2] すでにある程度有名で、登場しただけで場が盛り上がる


[2]は置いといて(仕方ない)、[1]が原因かもしれません。司会者も当然お笑い芸人、しかも人気の人ですから、見る目は確かだろうという期待があるわけです。その人物が褒めるのだから、さっきの芸は客観的に見て面白いはずだ。だからちっとも面白く思えなかった自分はおそらくどこか間違えているのであって、今後はその見方を改める必要があるのだろう。もしかすると、そういった感情が見学者に沸き立っているのかもしれません。それ故に、漫才の披露が「終わった後の部分」で評価を下す。これは周りの人間が芸のときにやたらと笑っていたりしていても同様で、「自分以外の人間の評価が高かった」という状況にあるため、マイノリティーな現状に焦ってしまう人がいるのかもしれません。完全に妄想ですが、ある種「人に合わせる」感情が働いている可能性があります。
これをプラスととるかマイナスととるかは人それぞれでしょうし、確かにそういった盛り上がりが結果として良い方向に働くこともあります。例えば大会の決勝などでは、それまでの参加者全員がその場にいて、鑑賞し、盛り上がるわけですから、多数が作り出す「場の空気」が大きな力を持つのは当然でしょう。それに「多数」なんだから、その評価が間違っているだろうという主張も通りにくいわけです。
今日見たのは予選のところでしたが、さっきの話と似たような状況にあるわけです。最初から「お祭りムード」だと言えばよいのでしょうか。割とその場のノリで決まってしまっている様子です。
自分が気にしているのは「何も予選でここまで流してしまって良いのだろうか」ということ。どうにも冷静さを欠いた評価が下されているようで、これを「時代の流れ」で片付けてしまうにはあまりにも惜しい気がしたのです。これでは「たまたま目立った」人が栄えるのであって、後にも安定して続く人材が評価されにくいのではないか。あまりにも、狭いところでしか判断されていない。


恐らく、文脈を意識していないのだと思います。漫才で言えば、ストーリーの成り立ちを。
流れの中で笑うことに対して鈍感になり、逆に瞬間を切り取って「可笑しい」と感じるものが受ける。だから「1分間」という時間設定で笑わせることを求められる。それゆえ、パッと見て印象だけが残るような芸人が人気を得る。これは多忙な現代社会において、短い時間でうんぬんかんぬん〜とこじつけることも出来ないことはないでしょうが、しかしきっと彼らを高く評価するのは、使い道の自由な時間を割と多く持つ若者でしょう。どうして、手軽に楽しめるモノばかりが求められるんでしょうね。
ストーリー漫画でなく、4コマ漫画。長編ではなく、読み切り、または一話完結。漫画で言えばそういうものでしょうか。いつの間にテレビにそこまで笑いを求めるようになったのかもよく分かりませんが、今日の経験で、世に求められるお笑いの質が大きく変わってしまっていることが理解できました。
う〜ん、ついていけないなぁ。本当の愉しみというのは、そういうことではないと思うんだけどなぁ……。