自己葛藤 買い物について

絵を描くのが最近楽しい。というか、使用している「sai」というソフトについて少し勉強したら使い方が分かってきたから、色んな方法を試すのが楽しい。
何か新しい知識を得て、それを実践する瞬間は、やはり気持ちがいい。
ゲーム世代の例えをすれば、ロックマンなどのボス攻略であったり(自分で編み出す楽しみもあるが)、ポケモンの裏技であったり、現実的な話で言えば料理なんて、新しい材料を得たときの喜び自体が大きい。(クレソンとか買ったときにすごくワクワクした)
試したいという欲求は、きっと得た次の瞬間に、何よりもはやくやって来るものだ。
逆に言えばそれは得ることが試すまでの過程であり、試すという欲求が沸けば、自然と得たいという衝動に駆られてしまうことでもある。
でも、自分の場合は得た時点で、試したいも含めて満足してしまうことがままある。所有しているだけでいいのだ。それが欲求の器を埋めてしまう。
「物欲」というけれど、それは「ものが欲しいのか」、「ものを試したいのか」。自分自身は、もしかすると、どちらでもなく単に商品をレジに通す瞬間、そのときが至上の幸福の瞬間であり、あとは喜びの感情が摩耗していって、近いうちにすり切れて無くなってしまうのではないだろうか……とも思う。
それは物欲ではなくて、単なる「収集欲」、ひいては「買い物症候群」なのだ。集めるという行為。
自分はものの値段を見るのが好きだ。そしてそれを暗記し、色んなお店で見比べ、一番安いところを発見したり、あるいは定期的に数字を確認して、底値を読むのが好きだ。そして、その底値を見極め、商品を購入するときにものすごい快感を覚える。
「値段に取り憑かれている」のかもしれない。「安い」を追い求めすぎて、「安ければ買わなければならない」というところまで、無意識が及んでしまっているのかもしれない。そのせいで、「必要性」について勘考できていない可能性が高いのだ、きっと。
今はネットで何でも調べられる。Amazonを見ていたら、大体の中古価格が分かる。だから、情報を「手に入れる」というよりも、自分からすれば「覚えてしまう」ばかりである。値段を調べていくうちに、これもいいなと思う商品が増えて、結果的に無意味にアンテナが広がり、一度リサイクルショップに行けば何もかもを探し求めてしまう。そして、見つけるたびに「買おうかな」と心が急いてしまう。その勢いにブレーキをかけられない。
駄目だな、転換しないと。最近心が空虚になってきている気がする。起きてから寝るまでの動作が全て機械的で、まったく創造性を伴っていない気がする。豊かさが無いんだ、健全な意味での。
こうやって文章にしてまとめてみるとよく分かった。やはり自分には冷静さと「言葉」が足りない。でも一人暮らしだから必要な言葉を与えてくれる人間がいない。だから、せめてもっと有益な本を読んで、精神を研磨していかなければならない。
もっと、意図的に暮らしていきたいなぁ。無機的なものに振り回されていては駄目だ。人間なんだから、精神面で成り立っていかないと。
今日、ジャングルブックで2980円になっていた「スーパーロボット大戦W」の誘惑を振り切って、そう思い至ったのだった。