イングリッシュクラス

英語の授業が始まるときの、あのやりとりは困る。
「グッモーニンエヴリワン」
なんだこの横文字は。
「グッモーニン、ミスターマツオカ」
なにがミスターだ。ふざけるのも大概にしろ。
しかも、学期初の授業の時は説明されることもあるから事態が余計におかしくなる。
「あの、まず私が“グッモーニンエヴリワン”って言うから、そしたら君たちが“グッモーニン、ミスターマツオカ”と返してください」
お前はそこまでしてこんな下らないやりとりをしたいのか。
そもそも、何がおかしいかというと、大学生にもなってこういうやりとりをしているということだ。日本人の自分でさえ嫌気がさす。これが、もし交換留学生としてアメリカから遙々やってきたジャスティンくんならどうだろう。
「おれ、どうしてわざわざこんなことしゃべってんだ」
ごもっともである。
「結局、おはようって言ってるだけじゃん」


もはやこれは横文字という名の病床である。そして、あまりにもその根が深すぎるのだ。


そもそもの始まりは、中学校からだ。
「ハゥアーユー?」
英語の義務教育である。
「アイムファインセンキュー、アンドユー?」
我々は強制される。ある掛け声に対し決められた答えを返すという作業を。例え39度の熱があろうと、ノロウイルスで苦しんでいようと、「アイムファインセンキュー」。ファインじゃねぇ。
これは洗脳なのだ。
そして、この洗脳という行為は実に徹底されている。試しに、「ハゥアーユー?」に対して何も返さないでおこう。すると、
「ハゥアーユー?」
聞き返されるのだ。


もう軍隊だ。英語の義務教育とは反射のレベルまでも「アイムファインセンキュー」に染め上げ、我々の英語会話における手法を一本化させる。何はなくとも「アンドユー?」。この国の英会話教育は何を目指しているのだろうか?
そして、その魔の手がどうやら大学にまで伸びてきている。なぜ中学生と同じやりとりを同じ形式で強要するのか。洗脳以外にもう理由が思いつかない。
……いや、待てよ。こういう考え方はどうか。


これは儀式なのだ。


自分たちが普段用いる日本語と、授業で扱う英語は全く異なる体系を持ち、また背景にある文化も大きく違う。大袈裟な表現をすれば、いくら親しみを持とうとも英語は異世界なのだ。
宗教における儀式とは、例えば祈りを捧げて神を呼び出したりするが、日常的な概念が及ばない領域へ一定の形式を行うことで作用しようとするという面においては、先述の英語授業のやりとりが英語という異世界へアクセスするための事前準備である、そう捉えた場合に同様の意味をもってくる。
つまり、「グッモーニンエヴリワン」とはこれから英語という異世界に突入するためのパスポート確認であり、「グッモーニン、ミスターマツオカ」は呼びかけに対する肯定の返事なのだ。このやりとりを経て、教師と生徒達は初めて違う領域へ到達することが出来る。それは「ハゥアーユー?」も同じことだ。
そして授業の終わりに「グッバイエヴリワン」と教師が投げかけるのは生存確認であり、「グッバイ、ミスターマツオカ」と答えるのはいわば点呼なのだ。


定められた儀式の間に入って初めて、「英語学習」が実現される。
異世界のルールは厳しい。
そして限定される形式だからこそ、本来の日常においては役に立ちにくいのかもしれない。
「アイムファインセンキュー」
そう答える外国人を、未だこの目で見たことは無い。