漫才字幕編集

たまにはプロフィールにうたっている放送部関連、もっと言えば映像編集のことでも書きましょうか。今日実際に行った作業とかを下の方で書きます。


自分は所属している広島大学にて、「ボランティア実習」なる授業をとっています。これは名の通り講義ではなく実習で、同大学が他大学よりも力を入れている(らしい)障害者支援に関する知識を学び、また学習に必要な教材を準備します。学ぶことは手話や指文字、要約筆記など。用意する教材は、講義の音声字幕作成。さらに一部の人は対面朗読(求められたテキストを朗読・録音する)、実際の講義の要約筆記などをされています。
これらはどれも日常では得がたい知識・経験であり、そういう意味では広島大学というのは良い学び舎ではないかと思います。国立で、誰でも参加できるボランティア学習のコースが作られている大学はそうそう無いのでは。(4種類程の演習の種類があります)


さて、そんなボランティア実習ですが、今日は漫才に字幕をつけるという作業を行いました。
二人一組で、ひとつの漫才を編集する。自分たちが割り当てられたのはM−1グランプリ2006決勝、優勝を勝ち取ったチュートリアルの渾身の漫才です。リアルタイムで腹がよじれるほどに爆笑していた記憶があります。


編集(字幕付け)に使用したソフトは、なんだかよく分からないものでした。(曖昧で申し訳ない……)恐らくパーソナルユース、それもアマチュア向けのもので(たぶん価格も1万円程度)、漫才編集にはちょっと合わない性能でした。


語り出すときりが無いところなので切り出し方にも迷いますが、まず言っておくと、漫才はコンマ一秒まで計算されている世界なので、まずフレーム単位で編集できないと困ります。ホームビデオを作る程度に嗜まれている方は何も思われないかもしれませんが、コンマ一秒の違いが何を生み出すかというのは、いつまで考えてもいい論題です。
簡単にひとつ言っておくと、「意識の誘導」の段階に大きな違いが出てくる。どこの映像でひっぱるか? どこの字幕で引っ張るか? 見る側の視線やその動きを意識し、計算ずくで制御することがどれだけの差を生み出すか。漫才に字幕を付けるという作業は、ある意味無謀な挑戦なので、せめて対象を最小単位まで分解できればなぁ……と感じました。


ちなみに自分が放送部で使っていたのはカノープス(Canopus)の「EDIUS Pro 3」。青基調のインターフェイスが良い感じの、NHKの人に言わせてみれば「渋い……」ソフトです。(実際にそう言われた)これは割と玄人向けの本格派で、フレーム単位編集もさることながら、音声周りの編集も非常にやりやすい良いソフトだと思います。都合上他のソフトウェアはロクに使ったことがないですが、数百時間に及ぶドキュメンタリーの編集作業にも耐え、タイムラインに映像や音声のラインを5本ずつくらい敷いても処理してくれるあたりパソコン自体の性能も含め優秀なんでしょう。後述しますがタイトラが酷すぎる出来を除けば、殆ど文句なしだったのですが。


話は戻って漫才字幕。
漫才は、とにかく「畳み掛け」ます。言葉の応酬に次ぐ応酬。これを字幕で編集しようと思えば、考慮すべきことはいくつかあります。
2人以上の場合、どうやって字幕を視覚的に区別させるか? 一般レベルで考えて、何文字については読むのに何秒かかるか? 表示するタイミングは? 映像との同期は? 声の大小は? ……などなど、大雑把に挙げてもたくさんあります。
映像編集は奥が深い。
漫才も実に奥が深い。


ここで問題なのが、今日使った編集ソフト、字幕の編集ラインが一本しかないのです。


…………論外だ(ぼそっ)


えっと、コンビの漫才をいじるんですけど? 彼ら普通に言葉のやり取りしてるんですけど? あ、合いの手とかも!


しかし編集ラインは一本。どういうことかと言うと、例えば徳井と福田の字幕を別に編集したい、だから編集する場所をそれぞれ一つずつとりたいのに、それが出来ないということなのです。こりゃ困る。


徳井の台詞、それの終わりごろから福田の台詞、その間に徳井の合いの手。例えばそんな状況をどう再現するかですよ。徳井のAの台詞を乗せたとして、終わりごろから重ねる福田のBの台詞。しかし字幕の編集でAとBを乗せると、Aの始まりからBまで表示される。これでは掛け合いの雰囲気が伝わらない。


これを解決するには、Aだけ表示される字幕、AとBが表示される字幕を作り、間を繋ぎます。Aの表示位置さえずらさなければ、続けざまにBの表示があったことと同じになるので、これでごまかし。A単体のクリップを作成してコピーを作れば早いのですが、どうもその操作が上手くいかなく、結果としてAは二回作るようなかたちになってしまいました。作業効率悪すぎ……。


また、編集単位がフレームではないので、言葉を出すタイミングなどの調節が難しい。EDIUSなら編集のバーを固定してそこにクリップを引っ付けるとか色々出来たのになぁ……と、昔のことを思い出したり。プロ用とアマチュア用の差は大きいです。


これからは上に書いた疑問に自ら答えていく形になりますが、二人の台詞の区別は、表示する言葉を徳井は上、福田は下の位置に割り当て(どちらも画面下部ですが)、さらにザブトン(言葉の下に敷く色のライン)の色をやや暗めの赤と緑で区別。こうすることで視覚的には判断できます(文字は白色)。口の動きでどちらが喋っているか分かるので、その認識さえ最初に済ませてしまえば大丈夫。二人同時に喋るときは、青色を使うことにしました。このあたりはペアで相談しながらだったのですいすい。
文字の認識は、基本的に映像と同期。一ラインに表示する字数は十文字程度で、それ以上かつ一気に認識したほうが良い場合は、二本目のラインを敷いて(つまり繋いで縦長のラインにして)表示。合いの手をタイミングよく消して画面バランスに対処。
出来るだけ口が開くタイミングにあわせて字幕を表示。また、間が必要だと感じるときは意図的に字幕を出さない時間を作りました。例え一瞬だけだったとしても、これは大きな違いを生んでくれました。
声の大小は−まだやってませんが−オーソドックスに文字の大きさで表現するでしょうね。漫符的ですが、やはりこれが一番分かりやすくていい。


……と、かなりいい加減ですが、そういった対処をとりました。グリッド線は表示されるので、位置関係はまだやりやすかったのが救い。憧れのデュアルスクリーンなので、作業自体も結構快適でした。


まだこの他に、「会場が笑っていればどう表現するのか」という課題があります。
個人的に、これって結構難しい。
たぶん「(笑い声)」という表示に落ち着く場合が殆どだと思います。昔からある表現ですし、抵抗の少ない人が多いでしょう。
しかし、これはつまり「笑ってください」という提供者からの強制になってしまいかねません。そりゃ、「みんなも笑ってるから、ここはやっぱり面白いんだ」という確認にはなりますが、そもそも漫才というのは「ここで笑え」という意図があってもそれを表に出したりはしません。漫才をする側は笑わせるつもりで芸をやっていても、ここで笑えだなんて絶対に口にしません。ある意味潜在的なことだと思います、笑えっていうのは。
だけど「(笑い声)」は違う。会場の雰囲気であり、リアクションの伝播です。感想を沸き起こすために感想を伝えている。これは漫才としての面白みの源泉ではない。ここがちょっと気にかかっています。


じゃあどうすればいいんだと言われると、それはもう、漫才の字幕を限りなく本来の音声言語に近づけていくしかないのです。


特性が違う伝達手段で同じ面白さを表現するのは難しい。しかしそのとき生じる弊害こそが、健常者と障害者の間にある溝なのかもしれません。だから、これを乗り越えようとする意思があるならば、それはつまり心的なバリアフリーに向かう努力の始まりで、これこそが「ボランティア実習」でやるべきことなんじゃないかなぁ、と思うんです。


無理やりシメますが、この字幕編集については、次回の作業があり次第また書きます。