メールという形式の手紙

【コラム】 彼女のハートをぐっとつかむメールの文面作りに挑戦してみた!
http://r25.jp/web/link_review/20003000/1122008031404.html


タイトル通りの内容です。




文中で、「がっつかない」とか、そういうことを奨励していましたが、実際どうなんでしょう。
「女性は褒められたい生き物」とか言ってましたけど、本当に皆が皆そうなのか。
専門家だのライターだの「出来そう」なイメージをつけてしまうと何にしても正確な意見に聞こえがちだったりするけれど、恋愛について論じるとき、実際根源にあるのは「ひがみ」だったりするんで要注意です。中島みゆきとか。(いや、好きですが)


この世の中、「むしろ私の欠点を突きやがれ! とことん直してやらぁぁ!」とよくわからないポジティブシンキングで生きられている方もいらっしゃるのではないかと思います。


というか、お世辞でも褒められたいとか、そういう人はちょっと怖い。
一体何を心の拠り所にしているんだと本気で突っ込みたくなる。



さて、心を掴むメール文面……そういう下心ではないけれど、一応メールの文章には気を配っているつもり、です。



この単語は読み方によっては別の解釈をされてしまうんじゃないか、とか
文脈の上で取りこぼしてしまう情報があるんじゃないか、とか
句読点のテンポがあまりにひどく、嫌な思いをさせてしまうんじゃないか、とか
エクスクラメーションマークの配置がおかしくて、感情が正確に伝わらないんじゃないか、とか



そういう「どうでもいいかもしれない」ことにやたら気を遣います。


簡単な用件ならともかく、大事な用事だったり、あるいは面識の薄い人に対するメールはかなり時間を掛けてしまいます。


返信ではなくこちらから送り始める場合は、それこそ文面の構築に1時間以上掛かったりり……(長文ですが)。


もともと「推敲」というのが好きな性分で、必要以上にリキ入っちゃってるとは思うのですが、まぁいかんとも直しがたい性癖です。文章のテンポをいじるのが好きだー。


とか何とか書いているけれど、実際良い文章を書けているかというと、日記にしてもメールにしても全然そうではなく。


あまり話す機会が無いのですが、自分の書く日記とメールは、自分の実際の会話のテンポを意識して書いているので、僕が喋っているのを想像しながら読む(それも気持ち悪いけど)と、何となく分かってもらえるかと思います、ハイ。しっかりした文体を使うときはまた違うんだけどねぇ。



んでもって、話は主題に戻ります。


女性の心を掴むというのは、もっと手前のことで言うと、「好感を抱かれる」ということですよね。


そうなると顔文字とか、絵文字とか、やっぱりそういう問題も生まれてくる気が。


まぁそこに触れだすときりがないし、扱うのも難しいので、殆どの場合、自分は本当に言葉に窮したときしか使いません。(表現力の限界)
だからやたら絵文字が多いメールが届いたときは、またしょうもないことで気を遣って死にそうになっているとでも思ってください。当たってますから。


しかし、それ以上に気になるのが、エクスクラメーションマーク、そしてクエスチョンマーク



!!!!!



?????



びっくりびっくりびっくりびっくりびっくり!!!!!



はてなはてなはてなはてなはてな?????



なんだこれ。




「ありがとうございます!」
「これでどうでしょう?」



こういう使い方をしますよね。


まぁ、前者は、「ありがとうございます。」で終わるとやたら淡白に見えるときに使ってしまいます。何というか、「『ありがとうございます。』だと。ふざけるな。なにが『。』だ。なめてるのか。もっと感謝しろ。もっと誠意を表せ。頭を下げろ。今すぐ。」と思われるんじゃないかと考えてしまうときがあるのです。早い話、『。』で心から感謝しているという誠意を表現しきれるのかなぁ、という懸念ですね。主に、年上の方と連絡をとる場合にこう考えてしまいます。


ここで『!』だとちょっと話が違ってくる。



『ありがとうございます!』



なんだか殊勝ではないか。後輩がちょっと上目遣いで、それに気持ちちょっとつんのめった様子で、若干言葉に詰まりながらも必死に訴えかけてきているような気がする。むしろ「あ、ありがとうございます!」というニュアンスにしたほうがいいのかもしれない。


自分を可愛く見せるとかそういう狙いは全く無いけれど(男だし)、『!』というのは「ちょっとテンパって」「かつ声を高らかに、嬉しそうで」「自分なりに必死に想いを伝えようとしている」印象が伝わるのではないかと思います。ていうか、実際自分に来たメールについては、そういう風に受け取っています。


だからこそ便利すぎるので、名詞と同様、それを乱用しない文体を獲得しようと奮闘中です。



次に、クエスチョンマーク



「これでどうでしょう?」



どうでしょうときた。水曜か(違う)。しかも『?』付きだ。「英語だと語尾を上げているところなんだぞ、お前、大丈夫か」と心配をしてしまうときもあります。
ただまぁ、これは『!』のように多様な意味を持つわけでもなく(向こうは怒ったり驚いたり喜んだりするけれど)、ただただ疑問を強調するのみです。


しかし、そういうシンプルさを保っているからこそ、無理に使わなくても良いのでは。



「これでどうでしょう。」



ちょっとクールになったのではないだろうか。上の「これでどうでしょう?」だと、とある有名な料亭に弟子入りした青年が人参のもみじ切りを命じられ、必死に包丁を操り一通り終えた後で師匠に伺っているとか、そういう様子が浮かび上がってくる。しかしさっきの「これでどうでしょう。」だと、有能な右腕である美人秘書が注文していた件のプロジェクトの要旨をさっと纏め上げ、素早く提出してくれたときとか、そういう情景を思い浮かべることが出来る(自分だけか)。


個人的に、疑問のときに使う『。』は軽く挑発的で、かつ大人っぽい冷静さを湛えている気が。『?』に比べすましているけれど、しかし確信があるようで、安心して内容を呑み込める。


だからこそ、あんまり『?』を無理して使わなくてもいいんじゃないかなーとか、そういうことを思ったりするのです。「もうすぐ20歳だし、お前いつまで『!』とか『?』とかつけてはしゃいでるんだよ」とか思ったりするのです。


それに、『。』だと『?』に比べて回答を強制しないですしね。それでよかったら、まぁ無理にメールを投げ返さなくてもいいかなとか、そういう風にも取れますよね。



最後に、自分なりの「気の遣い方」について。


大人っぽく、男っぽく、クールでタフなナイスガイ(どないや)を演じられたらそれで良いのかもしれませんが、自分にはそういう技量も経験も胆力も無いので不可能です。自分なりに、自分らしい文章を、奇をてらうことなく書くしかない。



そうするとどうなるか。



無理やり小ネタを詰め込んだ文章になります。


上のほうでも書きましたが、自分は自分の喋っている姿を思い浮かべながら、文章を書きます。日記とか、自分が普通に読んだらすらすらといけるようになってますからね。テンポとか、抑揚とか。


んで、関西人なもので、「笑いを取りたい」という欲求があるわけです。といっても笑いのセンスは自分に無いので(せいぜい毒を吐くくらい)、見苦しいネタばかり連発する始末なのですが、とりあえずばらまきます、小ネタ。


例を挙げろと言われても思い浮かばないのですが、多分大概の日記にはよくわからない変なことが織り交ざっているのではないかと思います。半分意図で、半分無意識ですが、きっとあります。


そういえば、自分はかつて「そうだね。君と2つも歳が離れているなんて、出世魚で言えばブリとハマチくらいの違いだね」と打ったこともあります。


なんでそこで出世魚の出番だと踏んだんだかつての俺は。



まぁよくわからないですが、とにかく「オリジナリティー」を追求しようとした結果、そういうわけの分からない気の遣い方を会得してしまいました。気持ち悪いことこの上ない。


しかしどんなことを伝えるにしても「手紙」という形式は意識しているつもりです。
それなりに気を配っているつもりなんだけれど、でもきっとまだまだ足りないことだらけなんだろうなぁ……。



結局何が言いたいのか自分でももやもやしてきましたが、とりあえず今日のコラムを読んで思ったこと、書こうと思ったことでした。良い足りないこともたくさんたくさんあるけれど、とりあえず今日はこんなところで。機会があれば、自分なりに考えて書いてみようかと思います。


『。』『!』『?』とか、他の方はどう扱っておられるんでしょうかね。
このあたりの意見や認識、文学部の方はきっともの凄い(個性的な)意見を持っておられるかと。ぜ、是非一度ご意見お聞かせ願いたい!(また会った時にでも)



あ、それから、取り上げたのには「女性の心を掴む〜」とか書いてありましたが、そちらに関しては本当に自信がないっていうか、「掴むだと。それこそ何を書けばそんな魔法のような効果が得られるんだ。」と思っているタチなので、最後までノータッチで。友人に「お前は会話に持ち込めれば勝てる」と若干無責任な太鼓判を押してもらっているので、そちらで頑張ります。