妬み

けた違いなものには人は心を騒がせない


ただ自分と同じような者を羨ましがるのだ


世の中でもっとも質の悪いねたみ屋は


他人をすべて自分を同等だとみなす人間だ


(『ゲーテ全集1巻』 『エピグラム風に』より『悪平等』)


ひとつ心の刻んでいる、ゲーテの言葉。
妬みについて、鋭く厳しく表現しています。



妬む。
自分は何に妬むだろうと考えると、やはり、自分に関係している事に対して、妬んでしまうことがあります。


例えば数学が出来るとか、物理が出来るとか。


分かんねーと悩んでいる真横で「こうだよ」とさらり流されてしまうとき、「ちくしょぉぉ!!」って本気で思います。軽い妬み。
これは向こう側の努力を、またこちら側の怠惰を全く考慮していないから、愚の骨頂といえます。



次に何について妬むかというと、それはやはり創作についてです。


絵を描くのが好きですから、向上心もある程度ありますし、どうしても関心が強いです。


ただ、そのなかで、あまりに上手すぎる人が身近にいたら「どうして……」とショックを受けます。
同じ年月を生きてきているのに、この違いはなんだと思ってしまったり。
表現は数値化できないもので評価も下しにくいですが、例えば「デッサン力」という観点では明確に差が生まれてしまいます。


これも積み重ねの結果なのですが、加えて圧倒的な表現力を見せつけられると、その衝撃は言い表せないものがあります。脳しんとうとかそういうレベルじゃなくて、なんかこう、「存在意義」の両肩を捕まれて前後に激しく揺さぶられるような感じ。


勝った負けたの世界では決してありません。
が、下手な者からみた「上手い人」は、自分のなかにあるものをとても素直に表現できているように思え、自分の創作物と見比べて、どこか情けない、悔しい気分になってしまうこともあるのです。
感嘆が大きいです、確かに。
同じくらい羨望も強いです。
だけど、同時に軽い妬みも覚えてしまっているんじゃないのかなぁ……と自問自答することもあるのです。
まったく同等なものじゃないのにね。
たちの悪い、ねたみ屋だ。



今回のゆかた祭りでハイレベルな作品群を見て、強く感じました。
単純ですが、上手く描けるともっと楽しいんだろうなぁ、と。
今のまま書き続けることも確かに楽しいのです。
しかし、果たしてこの実力で、自分自身の表現に対する欲求は満足しているのだろうか?
作品の中に、自分の純度はどれほど表れているのだろうか?
そうしてうんうんと悩み、考えて……やっぱり、もっと絵が上手くなりたいなぁと思ったのです。


ごまかしではない、正々堂々とした実力を。
絵に限った事ではないですが、今は絵のことを見て。
実力不足を感じます。
もっと上手くなりたい。
……ってことで、これから習慣的に、意識してもっと絵を描いていくことにしました。


ブログにアップするとか、そうやって自分の外にノルマを設定したら体も動くかな。
とりあえず時間を作ってチマチマ描いていこう。








しかし何を描けばいいのやら。
デッサンと、マンガデッサンのために模写するかなぁ?