踊りと音楽

今日はちょっとしたイベントに参加してきました。
ダンスあり、プロのギター演奏ありの凄く楽しいもので、思うところたくさん。
やっぱり表現って良いですね!


そして改めて思ったけれど、「踊り」と「音楽」は凄い。
文化も人種も言語もイデオロギーも軽く飛び越えちゃうもんね。
「世界平和」をうたうとき、表現、芸術は決して欠かすことは出来ないと思います。
感動を共有できることが第一歩だ……。


まぁそれは置いといて、今日は「踊り」と「音楽」について感じたことを。
そして、両者が切っても切れない関係だなぁと考えたことを。



まずは踊り。
「笑いは人間が内部にある余剰なエネルギーを捨てるために行う行為である」という素晴らしい解釈がある本で紹介されていました。「捨てる」というと語弊がありそうですが、踊りというのもこれに近い性質が備わっていると感じます。


というのも、「何故、踊るのか」と考えたときに、「踊りたいからではないか?」と答えが思い浮かぶからです。笑う時って無意識ですけど、要は「笑わずにはいられなくなって」笑ってるんですよね。


これを言うと、それなら絵とか他の表現も一緒だろうと指摘されそうですが、何と言いますか……絵は大体が「○○を伝えたい」から絵という表現を開始するわけであって、決して何も考えずに線を引き続けたいのとは微妙に違うのではないか? と思うんです。つまり(大体において明確な)意図の存在が前提であり、行動を起こすエネルギーとは前提が生み出す目的にもたらされるものではないかと。だから、絵という表現はある意味ツールでしかないわけです。「絵を描くのが好き」というのは、そのツールを弄くるのが好きなんじゃないかなと。


ところが「踊り」というのは、生に身体を動かす表現です。すごくプリミティブですよね。だからこそ純粋な発散ではないのかなと。つまり、強烈な自己表現なのです。


ステージの上で飛んで翻って舞う人間達は、往々にして笑顔です。何故かというと、そうやって身体を動かすのがとても楽しいからでしょう。どうして楽しいかというと、身体の中からわき起こってくる何かを一斉に吐き出しているからじゃないでしょうか。それは、発散させずにはいられない何かが湧いてきているからでしょう? だからこそ、自分の身体をめいっぱい動かしたいんでしょう? そういう風に思うのです。


今日のステージはみんな本当に素敵な笑顔が絶えず、筆が及ばない程に強烈な質量を持った、高圧縮の空気みたいなものがガンガン飛んでくるわけですよ。大型の花火が夜空に大輪を咲かせる瞬間、その刹那の光、夜を昼にしてしまうような鮮明な輝きがストレートにぶつかってくるわけですよ。それを見て感動しない人間はいませんよね? 有無を言わさぬ力がそこにありました。
何というか、改めて、人間の力というのはすごいなぁと。



そして音楽。
今日はギターでしたが、もうこれが格好良い! 格好良すぎる!!
凄く品があるんですね。ピンと張り詰めた弦の音。一音が会場に響く瞬間、ピリっとした空気が生まれるんです。
ですが、弾き方はとても技巧的な激しさがあります。ダンスホールのライトを乱反射するタイルの床を激しく打ち付けるタップダンスを舞うヒールの音みたいなものが、打ち鳴らす豪雨のように降り注ぎリズムを刻むんです。要するにラテンや民族系の曲調。音が踊っていました。
万華鏡を転がすようにどこか整合性を保ったまま、しかしコロコロと表情を変えていき、そして気が付けば一周している。そんな不思議な時間が何度も何度も現れました。魔法を掛けられたような不思議な感覚がほわほわと漂い、しかし演奏者は止まらない。興味深いトークを挟みながら次々と奏でられるメロディー。至福です。


なんつーか、やっぱ音楽も凄い! 生で聞くと本当に感動するね!
生で聞くと何が違うかというとまずは演奏者が見えることですが、それよりももっと大事なのは、かれの「沈黙」を目の当たりに出来ることですよね。とくに、演奏のなかにある沈黙(タメとも言う)と、演奏が終わった瞬間の沈黙。これが全てでしょう。様々な呼び名を持つリズムも、最終的には「沈黙」の一語に収束すると思います。それを間近で感じ取れるというのは、音楽を味わう上での最高の贅沢です。他の人たちの表情にも感動の色が見て取れました。


人に聞いた話でも自分が感じたことでもありますが、やはり人間というのは音楽を楽しめる才能を必ず持っている。というのは、人間に必ず備わっている「心臓」が拍動を刻んでいるからです。リズムがあるからこそ人の命が成り立っているわけで、つまりはリズムこそが原初なのです。それがテンポをもつ音楽を楽しめないわけないですよね。


目が見えなくても歌うことができる、耳が聞こえなくても、音の振動を感じ取ってリズムを取ることができる……そのような話を直に聞いたこともあります。本当にそうだと思います。それこそが、音楽の本質じゃないかと。
今日聞いたギターのメロディにも、冗談抜きに「心臓を揺さぶる」ような力が感じられました。
自分には歌うことならできるけど、上手くないからなぁ。
音で他人を感動させられる人は尊敬します、ホント。



で、最後に踊りと音楽の関係について。
これは簡単ですよね。踊りにはリズムがあります。歌でもいい、なんなら単調な太鼓の音でもいい、とにかくリズムがあるからこそ身体が動くのです。
それはつまり流れる音に心拍(ここでは身体のリズムと解釈します)が同調するからであって、詰まるところ踊りというのは心臓の拍動を身体の動きで生々しく表現したものだとも言うことが出来ると思います。


そして逆に言えば、音楽があれば身体は自然と動く。無意識にリズムを刻み出す。
ここでの踊りとは、必ずしも激しい運動を指すわけではありません。身体が音楽と一体化することを踊りと言いたいと思います。首を振るだけでもいい、足で地面をつつくだけでもいい、とにかくメロディが身体の中を流れていったら、それを踊りと呼べるのだと思います。ただ、見た目に激しいかどうかが違うだけで。(当然、人は強烈なエネルギーの発露に強く惹き付けられます。だからこそ、ダンスも往々にして激しいものなんだと思います。)


だからこそ、踊りのあるところに音楽があり、音楽があるところに踊りがある。
今日はそれを強く感じました。



あー、いいなぁ。
自分も身体を動かしたい。リズミカルに。フレキシブルに。
まずは気功体操から始めようか。
イー、アル、サン、スー、ウーロンチャー……。