手から伝わる思いがある。対話がある。

pechon2007-06-30

今日は手話講習会に行ってきました。と言っても、昨日からの流れで寝てないので、ちょっと個人的な時系列がおかしい。10時半から15時半まで(休憩一時間)のハードなスケジュールに、参加する前からグッタリ…。
一応ボランティア実習Bの授業で手話を習っているから、初心者・初級・中級コースのうち、初級コースを希望していた。当日は人数が少なかったのか、初級と中級は一緒になった。
さて、ここで問題なのが、他の人が手話上手すぎることです。
教育学部特別支援教育教員養成コースというところの学生の人もいて、皆さん非常に手の動きが速い。そして、伝わる・理解する。1年生の人でも抜群に上手く(聞いたところ「そりゃあ、これに単位かかってますからねぇ」とのこと)、「そうか、これが本物の手話か」と大きなショックを受けた。
周りの人たち、っていうかこのクラスの人たちは皆とても優しい人たちで、間違いなく皆のうち一番下手であった自分に対して、色々とフォローして頂いた。最初、講習が始まったときは「ついていけそうにないなぁ、初心者の方に移ろうかなぁ」と弱気になっていたけど、途中からは、逃げ出さずにこの場に残って、みんなの本物の手話を心に刻んでいきたいと思えるようになった。みなさん本当にありがとうございました!

今回強く実感したのは、やはりコミュニケーションツールの習得には、それなりの努力が必要だということ。手話がとても上手かったあの人たちも、間違いなく多くの努力を経てあれほどまでの技術を身につけられている。生半可な気持ちでやっていては勤まらない。人の声を見つけて、拾って、それを大衆に伝えるための「番組作り」をやってきた自分には、一人でも多くの人とコミュニケーションをとっていきたいという気持ちが常にある。そんな人間なら、一つでも多くの、対話の可能性をもっていないといけないのではないか。人の声を汲み取りたいなら、まず自分自身が「声」を感知できないといけないのではないか。目的としてでもあるが、意思疎通の手段として、これからはもっと必死に手話を取得していきたいと心に誓った出来事でした。
同席した1年生の人から、「みんなの手話」というNHK番組の存在を知る。学ぼうと思えば学ぶことができる環境が、自分には差し伸べられているのだ。