妄想前線

人類は社会活動を行うために「服を着ること」、もっと言うと「性器を隠すこと」を覚え、発情期を無くしていったという説がある。
確かに、人間に発情期があると困る。例えば国連で世界情勢についての重要な会議があったときに参加者の一人でも発情に差し掛かったらどうか。いきなり見境もなく異性を追いかけ始め、もう世界情勢というか、情性というか、とにかく会議なんてあったものではない。発情期は困る。
ここで一つ妄想してみよう、では、今から突然人類に発情期があらわれたらどうか? さらにこう付け加えると妄想はさらに広がる。


「発情前線」があるとどうだろう。


日本で前線と言えば、恐らく第一に出てくるのが「梅雨前線」だ。これは梅雨の状態を表すためにある時期になると頻繁に世の中で口にされる。また、他には「紅葉前線」というのもある。葉の色が変わっていく様を紅葉といい、地域ごとの気温差のためにまるで紅葉という現象が塊となって日本を横断するようにも感じられるため、「紅葉前線」だなんて洒落た言い方をしているようだ。


さて、さっき言った「発情前線」だが、自分自身は間違いなく「冬」にいわれる事だと思う。
何故かというと、冬はやたらカップルがいちゃつくからである。
マフラーを共有し、大きなコートを共有し、挙げ句の果てには体温まで共有ですかこの野郎。手刀を食らわすぞ! ……とまぁこんな具合に、冬という寒さは人間同士がくっつきたがる大きな要因になっているようだ。実に腹立たしい。
そして、寂しきロンリーウルフたちはその様子を見て、自分もそうでありたいと思いを募らせ、時には見境を失ったかのようにいいかげんに恋人を作ったりもしている。まるで、くっつくという現象が連鎖反応を起こしているようだ。とにかく人間は寒い冬にいちゃつく。
このいちゃつくというのをもっと大袈裟にするとどうか? というのが「発情前線」である。むらむらするというか、がっつくのである。内なるイドが解放され、リビドーが発露するのだ(適当)。
寒くなると発情し始めると仮定して、発情前線を考えてみる。そうすると前線は北海道から始まるに違いない。ニュースは紅葉前線を伝えるが、これからは発情前線も伝え始めるのだ。


「さて、先週ついに北海道で発生した発情前線ですが、今週はいよいよ本州に上陸して、始めに青森から秋田、岩手と続き、週末には関東地方まで差し掛かるでしょう」


こうなると大変だ。何が大変かというと、そりゃ人間がひっきりなしに発情し出すのが怖いのだが、それ以上に「発情が迫る」ということがわかり出すので恐ろしくなる。


「あ、俺もそろそろ発情するな」


つまり自らの理性が失われる頃合いが分かるのだ。きっとその状況は恐怖をもたらすことだろう。
もしかすると、それは「死の恐怖」に似ているのではないだろうか。自分が今までの、思い通りの自分ではなくなるということである。


そしてやがて発情が始まり、人間達は社会活動が困難になり、崩壊していくだろう。
発情は危ない。くっついてばかりのカップルには色々と自重してもらいたいものである。