『獣の奏者』


獣の奏者上橋菜穂子:著


上橋菜穂子による、日本には数少ない?本格ファンタジー。筆者の有名な作品を挙げると「精霊の守り人」がありますが、自分はまだどの作品にも触れたことがありませんでした。


では、こちら『獣の奏者』の紹介を。と言っても説明が難しいので、出版社からの紹介を引用させていただきます。

獣ノ医術師の母と暮らす少女、エリン。ある日、戦闘用の獣である闘蛇が何頭も一度に死に、その責任を問われた母は処刑されてしまう。孤児となったエリンは蜂飼いのジョウンに助けられて暮らすうちに、山中で天を翔ける王獣と出合う。その姿に魅了され、王獣の医術師になろうと決心するエリンだったが、そのことが、やがて、王国の運命を左右する立場にエリンを立たせることに……。


この物語は「1」「2」に冊が分かれていますが、話はそれで終わるので「上」「下」と捉えた方が分かりやすいかと思います。


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自分は、読み始めてから徹夜で一気に読んでしまいました。


素晴らしい。


これは児童文学ですか? 「薄暗い」にルビを振るような内容ではありません。織り込まれたテーマが非常に深く、確かに子供が読める内容ではあるけれど、むしろ、これは大人が読み解くべき本だと思いました。そして、何度でも読んで良い本。「相容れないものとの関わり合い」が主題かと思いますが、「学ぶこと」や「自分の生き方」、「真実を見極めること」については、主人公のエリンを通じて全編で丁寧に掘り下げられています。


物語の構成が非常に良くできており、ファンタジーと銘打っているものの、その世界の中での描写は現実のそれと変わらず、特に『傷』『死』『別れ』の描き方に至っては、その辺に点在する“軽い”文学作品とは比になりません。奥行きのある知識、勉強によって裏打ちされていることは明かで、このリアリティーの追求は『鋼の錬金術師』に近いものを感じました。とにかく、容赦がなくて写実的。ところどころは子供向けではないような文章です。


よく考えられた作品だと思います。最初はゆっくりじっくりと物語が進みますが、そこに丁寧に張り巡らされたテーマの選び方がすごく良くできている。この物語が児童向けでもある点は、そのテーマの選択や描き方が実に普遍的かつ大切なものであるからでしょう。テーマは上で挙げましたが、物語が終盤へ近づくにつれてその主題がいかに作品の世界を描くにあたって重要であるかがよくわかります。序盤から散りばめられたエピソードひとつひとつがはらむ意味が実に上手く活かされている。


そして、結論としての「終章」を読んで、「なるほどなぁ」と感じました。読めてしまう流れですが、思わず涙がこぼれる。主題が非常に深遠である以上、作者は終章においてはこれ以上踏み切った表現を控えたのでしょうか。しかし実に素晴らしい終わり方です。感動しました。(敢えてあやふやにしておきます)


ところで、終章では表現というか、断定がややぼかされていますが、重要なシーンに共通する状況を考えれば、本来的に筆者が提示したい結論・方法は十分に作品内に「主張」として存在していると言えるでしょう(タイトルもまた然り)。多分……深読みではないと思っています。


もう少し踏み込んだ話は、本当に軽くですがネタバレの恐れがあるため反転させて書きます。


共通する状況とは、「一対一で話している」ということ。物語の中で「身分」「民族」という生まれついての刻印のような中々変え難いものに、登場人物が困らせられますが、特に主人公のエリンの場合は、相手が誰であれ自分の思いきった行動によって一対一で向かい合い、言葉を交わそうとします。そして相手は人間にとどまらない。最終的な目的は、一対一どころか、「全体」を巻き込むものの変化なのですが、行うことは、一人に向かって行う。つまりこの物語では「対話」についても上手く描かれているのであり、それの物語での作用をみれば、「相手と向かい合った対話」がいかに大切であるかを表しているとも言えるのです。これが最終章で断言されなかった、しかし作者が伝えたい「結論」であると、自分には思えるのです。


読み終えてから振り返ってみると、もう少し書き込みが欲しかった部分もないこともなかったですが、対象の年齢層や、物語のテンポを考えれば悪くはないと思います。読んでいる間は時の流れを忘れてしまいました。


「途中で退場する登場人物のフォローが足りない」という指摘があるようですが、子供にも向けられた話の中でそれをやっていたらキリがないでしょう。それに、主人公に関わる人間全てが最後まで存在感をもつ必要は無いでしょうし、あくまで主人公の「成長」が物語において重要である以上、人物が立ち消えてしまうことではなくて、その人物から学び取ったことをエリンが自らの生き様に投影していることが大切ではないかと思います。その点では、あらゆる人物のもつエッセンスとも言うべきものが、実は最後まで生きており、恐らく作者が意図したであろう目的は達成されているように感じられます。


本当に良い作品でした。こんなに素晴らしい物語を紡がれるのなら、是非、作者の別の物語も体験したいです。