真面目な話をするときに

サークルの人たちとゲーセンに行ってきました。


んで、解散した後は、女の子を1人送って、流れからその場で話し込むことに。




うん、この日記は3時前に書き出したんだけど、これは少し前に帰ってきたからなんだ。


結果から言うと、2時間外で喋ってました。
寒くて身体がぶるぶる叫んでました。



議題:(送っていった女の子の)性格について



何だかんだ言って同じサークル部員として1年間のお付き合いがあったわけで。
お互いに対して色々な反応だとか考えだとかが積もっているわけですね。


で、今回は向こうが「性格からして、敵も多い」ということで、自分なりの意見を虚心坦懐にぶつけてきました。


こういう話をするのは気を遣います。


まず、自分自身が人格の成熟から程遠い段階であるという客観的な前提が存在しているので、踏み込んだ(あるいはそのように見える)ことを口にしたとしても、イマイチ説得力が伴わない場合があります。


言葉を並べるのは簡単ですが、それがどうして「納得」出来るのかは、結局は話し手がどんな人物で、どんな表情で、気持ちで語るかという部分も大きく関わってくると思います。
だからこそ、人に何かを指摘するとき、少なくともその点では自分はしっかりしていないといけない、と考え頑張っているんですが、自己診断ではまだまだです。
これは「誰かを応援するには、その人以上に自分が努力していないといけない」という考え方に似たりですね。


で、言うからには理論に筋を通しておかねばなりません。
自分がとても真面目にものを言うときは、「反論の反論」まで自分なりに考えて、可能な限り色んな視点から見つめて結論(つまり論の流れ)を下すようにようにしています。簡単に切り崩される提案をしても大して生産的ではないかと……。
ただ、結局自分で考えるに過ぎないので、いかに客観(これが存在しないにしても)に近づけるか、そして、どれだけ実存する資料(早い話書物)に関連づけられるかを考慮するようにしています。引用って、それっぽく聞こえちゃいますよねー。


それから、ロジックの組み立て方。
あなたはこういう時に、このような自分なりの考え方に基づいて判断を下していますが、それは結局、こういった面で自分の益に対する期待があるわけで、そういう意味では押しつけになってしまう部分が残り、そういった細かいところをしこりのように相手に残してしまうのかもね……みたいに、三段論法的な組み立て方をするようにしています。
ただ、口語でこういう形式を選んだ場合、ただただ分かりづらくなってしまうことが多いので、結局はかみ砕いて、いくつかのステップに分けて説明するようにはしています。極力。
ここがやっぱり難しいところで、いかに使用する語彙のレベルを下げて、つまり感覚的に理解できるようにしていって、そして核の部分をぶれさせずに伝えるか、が大切だと思います。
でもやっぱりアウトプットは難しい……。
本当に自分が頭の中で考えていることを外界に持って行けるのはただ詩人だけではないかと思います。
なかなか、思いを伝えるのには苦労しちゃいますわ。


でも、こういった一連の気配りは、そもそもの自分が感じ取っているものが的を射ていないと意味を成さないわけで、だからこそ最も大切なのは、自身の感性だとかそういう部分ではないでしょうか。


例えば、相手に悪意があるか・ないかだけでも大きく違ってきます。
ここはある意味自分の生理的な部分に任せるしかないのかも知れませんが、ものを考える際に一番大切なのはやっぱり出発点なので、対象のどういう要素が論題に大きく関わってきているか、そしてそれはどういうものなのか、というのを考えることが大切かと。
論じる際に、根底にあるものが人間賛歌なのか、人間否定なのか、というのも大きいですよね。(つまりポジとネガどちらを指向するのか)
そういうことを上手く見抜いていくのも、正しい言葉を選ぶためにとても大切なことだと思います。


で、こうやって論を作り上げていく中で、一番やっかいなのは自分自身です。
どうしても人間はおごりやすい構造をしているらしく、それは特に「評論」のときに顕著です。
これは「批判をする人間は、その行為の間は自身が批判されることを免除される(と思い込む)」とでも言うべき力(?)が働いているのではないかと思います。砕いて言うと、調子に乗るんですね。
だから、最初は冷静な視点ではじまった批評が、気が付けば感情的な刃を振りかざすだけの中傷に形を変えていることもしばしば。どこでも見受けられる光景で、それをみとめる度にぞっとしてしまいます。それは、自分に対してでも。
人は声の大きさに心を動かされるわけではありません。言葉の正しさが放つ光に心を射貫かれるのです。


批評・評価に際して、結局肝要であるのは、いかにして自分が客観に近い立ち位置を維持できるか、ということだと思います。
言ってしまえば「心構え」なのですが、それだけで済ますにはあまりにもやっかいなことですよねー。この部分について真面目に話すだけでも、凄い長文を書かないといけないでしょう。



まぁ、キリがないし眠いのでこれ以上書きませんが、とにかく、人に自分の考えていることを伝えるのはそれなりに労苦が伴うなぁ、という話で。


みんなはどういう考えをもってして論を語るのだろう?



今日の自分の意見は殆ど全て腑に落ちたらしく、「色んな意味で、間違っていなかったなぁ」と胸をなで下ろしました。
それなりに厳しい、というか核心に迫ることを言ったので(これまでの人生についても言及した)、いやぁ、キレられなくてよかった。
第一印象からずっと気になってたもんで、なんかもうすいません。
(いや、言っても正直に受け止めてくれるだろうと確信していたから語れたのですが)


向こうからは「恋に夢見てるよね」と至極ごもっともな意見を頂いてしまいました。「ピュアすぎる」とも。ごめんなさいロマンチスト入ってますごめんなさい。


でも、それ以上に「天然だよね」と言われたのが……。友人には必ず指摘されてしまいます。今日は「普段からめちゃくちゃ深く考えているのに、時々何も考えずにものを言うから変」と。きっと当たってます。誰かそこに惚れてくださいお願いします。(←どうしようもない)



意見ですが、時には、鋭い指摘を受けることを「攻撃」と見なして感情的な反撃に移る人もいるからなぁ……。人のことを言えたものでもないけれど、こういうタイプが一番面倒だと思います。
そんな、向こうは相手を思いやって言ってくれてるのに。


ま、何を言っても結局は言葉を受け取った本人次第。
あまりに言葉を操ることはそれによる逃げに繋がるから少々よろしくない。
結局は自分が可愛いだけだったりする。
楽しいと幸せを間違って混同している。
詰まるところは心次第。
観点を変えたら心次第で大概どうにでもなる。変われる。


というのが、20歳目前の若造の現在の、自分なりの経験に基づく考え(の一部)ですが。
はてさて。