ちくま大好き! (幸田文)

筑摩書房が、「ちくま日本文学全集」をリニューアル出版し始めました。
これは早い話、著名作家それぞれのアンソロジーです。前の発刊時は、収録作品の選出が良いと評判だったそうな。
前回はとりあえず予定の作家を出し切ってから、また追加で別の作家の作品集を発売したりもしていました。
さて、この度はそれを再編集。出版される作家の順番は前と違っています。


ここで個人的に重要なポイント。


何と、初回の配本のうち、「幸田文」のものが!


やってくれました。順番は気にしていなかったので、書店で実際に確認してから衝撃を受けました。
「ちくまっ、ちくまぁぁぁぁ!!」とむせび泣くように喜んで、思わず購入してしまいました。


筑摩書房はよく分かってくれていますね。宮沢賢治芥川龍之介と並べてよく出版してくれました。


と、ここまで喜ぶのにも、やはり個人的に理由がありまして。


突然語り出すのも変なのですが、自分は、いま薄れてしまっている日本語の本来の美しさは、もはや現代文学では取り戻すことが難しいと考えています(当然、今も素晴らしい作家の方はたくさんいらっしゃいますが)。現代という地平で文学を選ぶときは、あまりにも作品の数が多すぎます。それでは本当に良い物を選び出すことが難しいだろうから、既に時の洗練を受けている過去の名作に触れる方が確実だろうと思うからです。(日本語で編まれた文学としての「恋空」を選び取り、それに感動する人間の多いことに絶句しているタチです)

そこで、「じゃあ誰の文章がいいんだ」と言われた時に、自分が迷わず推すのが「幸田文」なのです。

大学生前後の方なら、センター試験の演習で読まれたこともあるかもしれません。自分はそれがきっかけで、一度その文章を読んで感動してしまい、すぐさま著作の収集を始めてしまいました。


とても綺麗な日本語を使われます。無駄がなく、字面にも美しい文体なので、多面的に言葉を楽しむことができます。生半可な素質では出来ることではなく、まさに「鍛え上げられた文章」を書かれるのです。


せっかくなので、今日買ってきたその本から一節取り出してみます。

 弱い夕風が出ていた。この風が境で、するする夕がたの幕が降りて来るだろう。いまお膳を出せばお銚子が三まわりもして暮れきる。気温がさがる。雨戸を入れて、燈(ひ)が明るくなる。障子を立てて、部屋が小ぢんまりとして、人はちかぢかと寄る。ここがきっかけというものだった。もうここが逃がせない時間だった。

(「ちくま日本文学005 幸田文筑摩書房出版)」収録 「段」 本書p78)


多分……さっきの主張は、このような一節だけで分かっていただけると思います。(自分の審美眼がよほどおかしくない限り)
美しい日本語だと口にして、それをこの一人に限るべきではないですが、間違いなく読み込む価値のある作家ではあるはずです。全体的に筆力がもの凄いので、読むときの自分は感心してばかりいます。


その幸田文をちくまが最初に再版してくれて本当に嬉しい。変な話をすれば、アンソロジーというのは「布教活動」にも絶好のアイテムなので(このシリーズで言えばチョイスも素晴らしい)、そういう意味でも購入する価値があります。


リアルに友人に勧めまくりましたが、さてみなさんも、いかがでしょうか。



……こういうとき、有料オプションじゃないために紹介できないから、不自然なんだよなぁ……。